ご葬儀のマナー 1/5:ご近所の焼香
ご近所での不幸。ご遺族が自宅に戻ったところに次から次へと誘い合わせた奥様方がご焼香に。「お疲れになったでしょう。」「気を落とさないでね。」「何でも手伝うから。」親切から出るありがたいお言葉の数々ですが、おっしやるとおりご家族は長い看病を終えて心も休も疲れ切っていらっしやいます。また、タイミング的にもお疲れの中やっとの思いで葬儀社とご葬儀の打ち合わせをしている時でもあります。お電話をしてお手すきかどうか伺うとか、翌日にするとか、ほんの少しのお気遣いが一番の親切かもしれません。
ご葬儀のマナー 2/5:しきたりの違い!?
ご葬儀は、ご臨終からご収骨まで、様々なしきたりや慣習で行われます。『逆さ水』、『お着物の逆さ掛け』、『枕飯と六団子』、『自宅からの出棺は足の方から出るように』、『逆さ送りは女親を家に残す』等々、それぞれのしきたりにはそれなりのキチンとした意味があります。また、地方や地域によって行われる特殊な慣わしもたくさんあり、都内の葬儀はそうした中のごく一般的な国内共通と思われるしきたりに則って行われています。時々、地方から見えたご遺族のご親戚の方々が、『こんなことはウチの田舎ではやらない!』、『これはこうではなく、こうするものだ!』とおっしゃいますが、地方のしきたりを基準にされると、そこから先に進まなくなってしまいます。東京は東京の慣習で葬儀を進めていることをご家族、ご親戚様の間でご理解いただくことが重要です。
ご葬儀のマナー 3/5:お見送りはどこまで?
喪主の挨拶も済み、出棺しようとしています。司会者の「皆様どうぞお見送りください。」の言葉に、これから火葬場へと向かわれるご霊柩を合掌で見送ります。よく見かける出棺見送りの場面ですが、問題はこの後です。何となく人の流れに乗ってマイクロバスに乗車。火葬場から戻ったらそのまま初七日の式場へと促され、その後精進落としのお弁当をいただくことに。そのとき周りを見回して知らない人ばかりなのに気づきました。これはできるだけさけたい失敗です。
- 知り合い程度の関係のご葬儀なら、お見送りは出棺まで。
- 基本的に初七日の法要は親族だけで行うもの。
- 精進落としのお弁当は前日に出席者をカウントし、決まった数しか用意されないもの。
このことが頭に入っていれば失敗はありません。ただし、前もってご遺族から「火葬場に来てください。」、「最後までいてね。」、「マイクロバスの○号車に乗ってください。」と言われている場合はもちろんご遺族からの希望ですので、時間の許す限り出席するべきでしょう。
ご葬儀のマナー 4/5:お清めとは?浄土真宗の教えより
死を穢れとして忌み嫌い、それを清める意味で古くから用いられているのが「塩」です。今でも会葬礼状や返礼品に塩の小袋が添えられていたり、会葬を終えて帰宅したときに玄関で塩を振ったりします。
ではそれが仏教全体の共通した慣習かどうかというと、浄土真宗だけは違うようです。浄土真宗では「死」を穢れとせず、仏様を清めの対象にすること自体を戒めています。ですから、お通夜の料理も「お清め」とは呼びませんし、お寺様の了承を得ずに会葬客にお塩を配ることもしません(気になさらないお寺様もいらっしやるようですが・・・)。 確かに「死」は非日常の出来事であって、忌むべきことかもしれませんが、浄土真宗の説くように、亡くなった方は皆仏様であり、穢れどころか尊い存在であるから、清める必要はないという考えも一理あるようです。 大事なことはいたずらに気持ち悪がったり、「清める」ことに気をとられず、故人を偲ぶ気持ちを優先させるべきであると言うことでしょう。
ご葬儀のマナー 5/5:「友引」の葬儀はNG?
古くから、友引の日は『友を引く』ので葬儀をしてはいけないと伝えられてきました。その言い伝えは意外と根強く生き残っており、現在都内では友引の日に葬儀をしようにも、火葬場が休みでできないようになっているほどです。
はるか昔は、死霊を清めないと悪さをし、新しい命を道連れに連れて行ってしまう、つまり死は伝染するものとして恐れられてきました。やがて友引が悪役となり、定着しました。では本当に友引とはそんなに怖い日なのでしょうか。実はそもそも友引とは陰陽道の暦で『友に引く』つまり両者引き分けで勝負なしという意味でした。結局『友を引く』とは何の関係もない迷信なのです。
実際他県では、『友引』の迷信自体をバカげたこととして、葬儀をしているところもあります。あまり宗教的な意味合いがなく、どちらかというと語呂合わせ的な迷信ですので、今後消えゆく運命かもしれません。





